【城北ライダース65周年記念】創設メンバー久保和夫インタビュー後編
2025.02.09

「城北の仲間たちと過ごす時間が楽しくて気がついたら65周年になっていました」
2021年12月にMFJの殿堂入りをすることができました。初年度はマン島TTレースの50ccクラスで日本人初の優勝を飾った伊藤光夫さんと、2輪と4輪の世界で活躍した高橋国光さんが選ばれました。その次の年は本田宗一郎さんと吉村(秀雄)のおやじさん、その後に私が選ばれました。
本当にびっくりしましたし、偉大な本田宗一郎さんや吉村のおやじさんと肩を並べるなんておこがましいですよ(笑)。でも自分がやってきたことが認められ、しかも当時の仲間の忠さん(鈴木忠男)、(山本)隆、(吉村)太一ちゃんと一緒に選ばれてうれしかった。
「日本人として初めてモトクロス世界選手権に出場し、日本人ライダーの世界への道を切り開いた」と評価されて殿堂入りしましたが、世界選手権のことを思い出すと、悔しさと情けない気持ちしかありません。
最初は1965年にスズキのRH65でスウェーデンGPとフィンランドGPに出場しましたが、他のメーカーと勝負にならない。当時はチェコのCZとスウェーデンのハスクバーナが強かったですが、スピードがまるっきり違う。しかも我々のマシンは信頼性も低く、まともに走れず、リタイアするしかなかった。
翌1966年も小嶋(松久)と一緒にモトクロス世界選手権にRH66で挑戦しましたが、エンジンのバイブレーションが酷くて、一度はストレートでクラッシュしたこともありました。しかもエンジンの振動でフレームにクラックが入ってしまう。スウェーデンのファクトリーの連中に溶接の機械を借りて、自分で修理しましたが、すぐにまたクラックが入ってしまった。結局、一度も完走ができず、地団駄を踏むような悔しい思いだけして、日本に帰ってくるしかなかった。
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当時のスズキのモトクロス・チームはオランダのアムステルダムにあるロードレースのベースキャンプを間借りしていました。ロードレースにはメカニックはいましたが、モトクロスは現場にメカニックやメーカーの人間は誰も来ません。私と小嶋と通訳の3人で何から何までやっていました。整備や修理はもちろん、イベントに行く時は大きなワゴン車にマシンを積み込んで、自分たちで運転して移動していました。当時なカーナビゲーションもない時代ですし、よく道を間違えて、大変な思いもしましたね(笑)。
決して世界をナメていたわけじゃないですが、ライダーもメーカーの人たちも何も知らなかったんです。私自身、国内の大きなレースは何度も勝っていましたし、ロードレースと違ってモトクロスはライダーの腕で何とか勝負できるだろうと、それなりの自信を持って世界に挑戦しましたが、まったく話にならなかった。特にマシン性能の差は大きく、世界との実力差を思い知らされました。
正直、海外でのレースは楽しいことはなかったですが、当時は海外に行く日本人はほとんどいなかった時代です。私は若造でしたが、空港にいるのは大半は会社の偉い人たちばかり。よく空港で万歳三唱をして海外に旅立つ人を見送っていた時代ですので、貴重な経験をさせてもらったと思っています。
それに自分たちの苦い経験がスズキの礎になった。後にオーレ・ペテルソンやジョエル・ロベールが世界モトクロス選手権で活躍して、スズキは1970年代に数々の勝利やタイトルを獲得しました。
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城北ライダースのメンバーとして国内外のレースで戦っている時は、まさか自分が殿堂入りのような栄誉を与えられるなんて想像もしていませんでした。16歳ですぐに免許を取得しオートバイに乗り始め、18歳で城北ライダースを立ち上げ、28歳で現役を引退しました。その後、東名自動車を立ち上げた後、SRSクボを設立して加賀山(就臣)選手や亀谷長純選手などのライダーが自分のチームから巣立っていきました。
兄貴(靖夫・寿夫)や親父、誠さん(鈴木誠一)のような速くてマシンも作れるスーパーマンと出会い、城北ライダースを結成。素晴らしい仲間たちにも恵まれ、レースではいい成績を残すことができました。
城北ライダースの仲間と過ごす時間やレースをするのがただただ楽しくて、導かれるままに走り続けていたら、今日を迎えることができました。これまでのレース人生は本当に面白かったですし、あっという間の65年でした。

久保和夫(くぼ・かずお)●1939年東京生まれ。18歳でレースデビュー。1960年代の国内モトクロスでは無敵で、数々のレースで優勝を重ねた。富士で開催されたイベントでは50cc、125c、250cc、オープンクラスのすべてに優勝という離れ業を演じた。スズキファクトリーライダーとして出場した1964年の第1回モトクロス日本グランプリ大会では125ccと250ccクラスを制覇。1965年に日本人として初めてモトクロス世界GPに出場。東名自動車(現東名パワード)の設立にも携わり、のちにスズキ系のレースマシンのサプライヤーとして『SRSクボ』を設立。多くのライダーを育成するなど競技の普及振興に寄与したことが評価され、2021年にMFJモーターサイクルスポーツ殿堂入りを果たす。